保育士をやめて一番残念なことは、めっきり絵本を読む機会が減ってしまったことです。
毎日色々な絵本を暗記できるほど読んでいたのが噓のようです。
最近昼休みは職場近くにあるイオンの中にある本屋さんに行って絵本を見るようになりました。
どうしてかというと、私も絵本を書いてみたいと昔から思っていて、絵本のストーリー部門に応募するようになったからです。(今までに3つ応募しました。)
なぜストーリー部門かと言うと、絵が絶望的に描けないからです。
そしてこの度私の絵本の絵を描いてくれるというクリエーターさんと出会うことができ、
Kindleで絵本を出版してみることにしたんです。
そのために、絵本のサイズや字のテキストなどを参考にするため絵本を購入しようと思い、毎日本屋に通っているのです。
本屋さんに毎日通うようになって、絵本も季節や新刊がでるタイミングで棚のラインナップが変わっているということに気づきました。
春は桜や入学、5月は母の日やこいのぼりなど、保育園にいる時のように季節を感じられるようになりました。
本屋さんって素敵ですよね。
その中で購入した、とっておきの絵本を紹介したいと思います。
それは、ヨシタケシンスケさんの「そういうゲーム」です。
この本は小さい子に読み聞かせでもきっと楽しいと思いますが、お母さんお父さんに読んでほしいです。
ヨシタケシンスケさんの絵本は、気になってはいましたが、手に取ったことがなかったので衝撃的でした。
「えっ、このゲーム私したことある」ぱらぱらめくるたびに親近感…
みなさんも人生で何度か経験あるのではないでしょうか?
ここでわたしのゲームを紹介します。
一人っ子だからなのか、いままでたくさんの「そういうゲーム」をしてきました。
ダ・ヴィンチWebでヨシタケシンスケさんと尾崎世界観さんの対談を読ませていただきました。
ヨシタケシンスケ(以下、ヨシタケ) 今作に限ったことではないのですが、僕がやりたいのはフォーマットの提案なんですよ。「こういう受け止め方、かわし方もあるけどどうでしょう?」っていう。今作でいえば、僕自身が心配性だったり物事を大袈裟にとらえたりと、必要以上に身構えてしまう毎日のなかで、どうすればもうちょっと気楽に生きていけるかを考えた結果、日常を小刻みにして、ゲームに置き換えてしまえばいいんじゃない? 別に負けても誰かに殺されるわけじゃないんだし、と思ったところから始まりました
尾崎世界観(以下、尾崎) いい意味で、ゲームに一貫性がないですよね。「こういう流れなのかな」と予想したとたん、まるで関係ないゲームが提案されてひっくりかえされる。そしてどんどん「勝ち」という言葉の意味が広がっていく。これは今作に限らず、ヨシタケさんの作品には、言葉が内包するものを見直し、ふくらませていく力がありますよね。
ヨシタケ ありがとうございます。それも、そうであればいいな、と思っていることです。今作も、読んでいるうちに「勝ちってなんだ?」とみなさんがわからなくなるくらいがいいなあ、と思っていて。そもそも勝ったところで嬉しくないゲームも、たくさんあるじゃないですか。自分にとっての勝ちとはなんなのか、自分はそもそもなんのゲームをやっているのか、と考えるきっかけになったらいいな、とも思っています。
ヨシタケ 自分を甘やかす口実を、いくらでもつくったらいいと思うんですよ。どんなにつらくても今日は二度とこないんだから大丈夫、明日ものすごくいやなことがあっても一日は24時間で終わるんだから大丈夫、だってそういうゲームなんだからって考えると、自分の気持ちに区切りもつけられる。俺の一生はハズレだと考えるとものすごくつらいだろうけれど、500年後には自分が生きていたことで何かものすごい価値が生まれるかもしれない、人生という枠をどれだけ伸ばして考えられるかで「勝ち」が決まるゲームなんだと考えたら、少し見える景色も変わるかもしれない。一般的な損得の尺度ではないところで勝負する、というのは一つの救いになるような気がしています。
参照 ダ・ヴィンチWeb
「自分を甘やかす口実を、いくらでもつくったらいい」という言葉に感動しました。
ぜひ、手に取って全部読んで、そして自分の「そういうゲーム」を自分を甘やかすために考えてみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。